追悼・回天
(第38回元陽展/2007/F100号) |
2006年内閣総理大臣に任命された安倍晋三氏が憲法九条の見直しに言及した。
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
第二次大戦で約300万人の命と引き換えに手にした大事な九条だ。前の大戦から私たちは何を学んでいけば良いのだろう。
人間魚雷「回天」の訓練基地があった周南市大津島に私は出向いた。いったん出撃した生きては帰れない。なにがそうさせたか。そこには決して美化されてはいけない少年の「いのち」があったのだ。
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追悼・沖縄健児
(第39回元陽展/2008/F100号)
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沖縄は第二次世界大戦で一般市民を巻き込んでの地上戦が行われた。
これは健児の塔があるそばにあるガマ(洞窟)から外を見た風景です。外からみるとアメリカ兵の視点になります。ここは沖縄師範学校の生徒が最期を迎えたところ。年齢は17歳から19歳、軍務では武器はなく、食事もほとんどなかった。伝令は一度に3人を送り、だれか一人たどり着けば良いとされていた。とても人間がする任務ではありません。
沖縄戦では兵士と市民、約22万人の方々が命を落とされています。数字で表すと単なる大きさを示す記号になってしまいます。一人ひとり、かけがえのない人間の「いのち」なのです。
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祈・ヒロシマ8.6
(第40元陽展/2009/F100号)
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広島に人類史上初の原子爆弾が8月6日午前8時15分に落とされました。14万人の人が亡くなられています。慰霊碑には「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」とあります。すべての人びとが原爆犠牲者の冥福を祈り、戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉である。
この絵は原爆ドームの中から外を見た風景です。もちろん今は中に入れませんので、外がわからスケッチを撮り、中から見たらこうだろうで描き上げました。外から見たら傍観者になりそうで、内からを想像することで当事者の気持ちになりたかったからです。
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祈・ヒロシマ2012
(第43元陽展/2012/F100号) |
このアオギリは爆心地から1.3km離れた広島逓信局で被爆したが、翌春には奇跡的に新芽が咲いていたそうです。1973年現在地に移され、その近くには被爆アオギリ二世も立っています。現在、ここで取れる種やそこから育てた苗木「被爆アオギリ二世」は広島市の平和活動の一環として日本国内のみならず、世界中に配布され、植えられています。
この絵は春先にスケッチをし、描きはじめていましたが、次第に葉の色も濃くなり、それに合わせて葉の数や色を増やしました。
また途中から二世も加え、左端には現在のアオギリがやがて枯れていくことを想定して描き加えました。 |
どっこい生きてる
(第33回グループ「集」展/2012/F50号)
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長崎市の山王神社にある「一本柱鳥居」です.1945.8.9に落とされた原爆でもう一方の柱が爆風で倒れました。かろうじて残ったもう一方の柱がバランスを取りながらけなげに立っています。またこの神社のクスノキも爆風と熱線により枝葉は吹き飛び途中から折れて黒焦げとなったものの、2年後奇跡的に新芽を芽吹き、次第に樹勢を盛り返し今日に至っています。これを歌にし、その題が「どっこい生きてる」でした。
長崎に残されている数少ない原爆遺跡です。
広島は原爆ドームに代表されるように、原爆に対しては「怒り」を伝えています。一方、長崎は平和祈念像に代表されるように「祈り」になっています。(ちなみに広島は「平和記念公園」、長崎は「平和祈念公園」)
なぜこの違いがあるかも興味のひとつで、46年ぶりに長崎へ取材にいきました。所感は私のホームページに記載しております。
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