IT2001
(第32回元陽展/2001年/F100号) |
「IT(アイ・ティ)」のことばも前年の流行語大賞となり一般化した。しかし「イット」と読んだ人もおられたことも事実。
私の勤めていた会社では1995年には個人配布のパソコンが一人一台となり、1996年には社内LANで全部のパソコンがネットワーク化された。それに伴い、情報化推進から情報セキュリティの重要性が問われた時期が2001年である。
IT時代の情報はデジタル化され、コピーや改ざんがたやすくなる。守るべき情報は何か。完全に守ろうとすると途方もない出金となる。それでも悪意をもってすればできないことはない。やはり最後は「セキュリティ教育」とさかんに言われ、私も携わったひとりだ。
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IT2002
(第33回元陽展/2002年/F100号)
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2002年はNimdaウィルスから始まりまった。ウィルスは自然界で生まれたものですが、コンピュータウィルスは人の手によって作られたもの。なんの得(徳)があるのでしょう。ネットで世界中がつながっているもの便利ですが、瞬時にウィルスもばらまかれてしまいます。
私の勤めていた会社でも1台のパソコンがウィルスにかかりました。すぐLANケーブルを抜き、他のパソコンで修復ソフトをダウンロードし修復しました。でもこの間約2時間。便利なようでもちょっとした不注意で大変な労力がかかります。
そんなこんなをIT社会のイメージであるCD-ROMの破壊で表現してみました。
ITの持つ力強さや便利さ豊かさを、一方では不注意が招くわずらわしさ。
矛盾をはらみながらもIT社会は膨らんでいく。
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IT2004β
(第54回萩市美展/2004/F100号)
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「β版」とは市場投入直前の評価版として、実際に使ってみて性能や機能、使い勝手を評価してもらうための試作品のこと。
私もITシリーズとしては4年目でもあり、未完成版として発表しました。でも一応サインは描きましたが。
画面を走る無数の微細な線は「線」にもなりきれない未熟な自分を表現しました。
結局この絵は「萩市議会議長賞」をいただき、萩市美展の招待作家になりました。
なお、この年で萩市が広域合併したため回数がリセットされ、翌年からは(新)第1回萩市美展となりました。萩市美展には14回目の作品です。
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IT2005
(第1回萩市美展/2005/F100号) |
「個人情報保護法」が4月から施行されました。
私の勤めていた会社も顧客満足のためと企業価値向上に向けて「プライバシーマーク(Pマーク)」を取ろうということになり、私が事務局に選任されました。ようやく年度も替わってから「Pマーク」の使用許可がおりました。
終わるや否や今度は「情報セキュリティマネジメント(ISMS)」です。このISMSをもらってから定年退職です。会社員生活の最後の2年はこの「Pマーク」と「ISMS」に明け暮れました。(2006年3月定年退職)
全面赤色系で描いています。「集大成」の意味でもあります。
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IT2006
(第37回元陽展/2006/F100号) |
この絵を発表した時は定年退職後です。18歳で入社し、24歳からコンピュータに携わり、2006年3月31日に定年退職。上司、先輩、同僚、後輩、お客様、時には叱られたたこともありましたがみんなに感謝です。42年間ありがとうございました。
右上のマルで抜いたのは多少肩の荷が下りた気持ちが出ていますか。
翌日からは個人事業主として京装コンピューターの創始者である(故)岡田崇男様との縁故で6年間働きました。
最初の3年間は順風満帆でしたが、2009年のリーマンショック以降は業績が上がらず、2011年3月でとうとう契約解除となりました。
元陽展に100号の「ITシリーズ」として出品した最後の作品です。
というのもこの年、第一次安倍内閣で安倍晋三氏が「憲法九条を変えたい」と言ったからです。300万人の命と引き換えに手にした平和憲法を変えるなんて。この時期にきれいなITの絵を描いている場合ではない。風雲急を告げている。との想ひからでした。
「非戦シリーズ」主にサードシーズンで展示いたします。
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